教化委員長所信
2017年度〜2019年度 教化テーマ
求道者たれ ともに求道者たらん
〜自信教人信の誠を尽くす〜
第4組において、組長と教化委員長の役務分離が施行されてから6期18年が経過し、4人の方が教化委員長の重責を担われました。そして任期毎に教化テーマを掲げて私たちに指針をお示しくださいました。
その指針とは「つながりを生きている世界こそが私たちの生きる現実であり、そのことを仏道の学びを通して確かめあう場を「出遇い」と押さえ、さらに「出遇い」の場とは、とも同朋と共に宗祖に出会う私に出会う場なのだ、ということを学び続けよ」ということでした。そして宗祖の御遠忌を終えた今、現代社会の中にある私自身の歩みを「南無阿弥陀仏のいのちのもとで再び見直す・見つめ直す」必要性を重ねて提唱していただきました。歴代の教化委員長は大谷派という宗門の宗教的精神の伝統によってお育てをいただいた方々であり、6期18年にわたって私たち教化委員にお示し下された教化委員長言葉・指針の全てが大谷派の宗教的精神を表現しておられると思います。
現代の大谷派という宗門体制の根源は、明治の清沢満之が掲げた大谷派の僧伽としての本来性を回復するための宗教的精神運動と教学運動に起因します。その精神運動とは大谷派宗門の上に、門徒・僧侶という枠組みを超えた「広大会」、すなわち阿弥陀如来の説法の広大なる集会を念じ「同朋僧伽を開こう」とするものでした。と同時に清沢が力を注いだのが教学の振興運動、特に寺院子弟の人物の養成です。これらのことから「同朋会運動」という僧侶と門徒が共に作り上げていく聞法会や研修事業が生み出され、またそれを支える多くの僧侶・人物の養成を行う学場が創設されてきたのです。
この大谷派の伝統から第四組教化委員会の目的を見直したとき、研修会により多くの寺院から多くの人が参加されることに力点を置くのは言うまでもありませんが、それ以上に、各研修事業が機縁となって組内全ヶ寺の求道者・聞法者がお一人でも増えて各寺院の法座事業が繁昌する、そのお手伝いをさせていただくことが教化委員会第一の目的だと思います。そのためには先ず聞法の先頭に立つべき僧侶が求道者・聞法者とならねばなりません。
大谷派宗門の僧侶・人物養成課程の中に教師修練があります。昭和41年に宗務総長となった訓覇信雄氏は、僧侶たちが真に求道者・聞法者となるべく教師修練の充実を計られました。その願いが展開される中で和田稠教師修練道場長が「道場の願い」として「求道者たれ」と掲げました。その後「ともに求道者たらん」との言葉が添えられ、現在の道場の願いとなっています。この道場の願いこそが、私たち僧侶・門徒に対する如来からの呼びかけなのだと思います。
また大谷派僧侶を養成する学場の一つに「大谷大学」があります。この大谷大学の初代学長でもある清沢満之は、大学開校の辞において以下のように語っています。
本学は他の学校と異なりまして宗教学校なること殊に仏教の中に於て浄土真宗の学場であります 即ち我々が信奉する本願他力の宗義に基きまして、我々に於て最大事件なる自己の信念の確立の上に其信仰を他に伝える即自信教人信の誠を尽くすべき人物を養成するのが本学の特質であります
(岩波版『清沢満之全集』第7巻364頁)
このように大谷派の僧侶の本分は「自信教人信の誠を尽くす」ことです。これは「自らが法を聞き、法によって自らの信を確立することが、即時に他者にも法を伝えて行くこととなる」のであって、決して他を教化・能化することを勧めるものではありません。逆に徹底して他を教化しようとする意識を戒める言葉です。つまり聞法の場に僧侶がご門徒と共に身を据えているのか、また僧侶が自ら進んで聞法学習に努めているのかという厳しい問いであります。
宗祖親鸞聖人七五〇回御遠忌と両堂等御修復が完了し、また宗祖親鸞聖人誕生八五〇年・立教開宗八〇〇年法要を六年後にお迎えしようとする今、僧侶・門徒共々に真に求道者・聞法者と成ることが願われています。その中でも特に僧侶・寺属が仏法の前に身を晒し、真の求道者・聞法者となっていくことが強く求められています。よって今期の教化テーマを、冒頭にあります『求道者たれ ともに求道者たらん〜自信教人信の誠を尽くす〜』とさせていただきます。
私ども第四組におきましては、各寺ご住職様はじめ寺属・ご門徒の皆様、関係各位のご理解・ご協力を仰がなければ組の教化活動は成り立っていきません。何とぞ組内皆様の特段のご配意を賜りますようお願い申し上げまして、今期三年間の所信とさせていただきます。何卒宜しくお願い申し上げます。
合掌
2017年7月26日 第四組教化委員長 吉田敦史