寺属教化部門『寺属学習会』
日 時:2021年12月7日(火)14時~16時20分まで
会 場:北海道教務所2階講堂
講 師:巖城孝一 先生(第4組 極楽寺)
講 題:御文作法に学ぶ
内 容:講義、ビデオ上映、質疑、座談
参加人数:執行部3名・部門員4名・現地参加者8名・web参加7名 計22名
今回の寺属学習会は、准堂衆である巖城孝一先生をお迎えして、講題の「御文作法に学ぶ」について講義をいただきました。
講義のはじめに、「お給仕する姿に触れるという、そのことを真剣に求めている人に会うという事が、この度の何故晨朝を勤めるのかという何故という問いの土台になるかもしれない」とお伝えくださいました。
次に、儀式の伝統について「荘厳、法要次第、法要時刻、作法を自分の個人的な好みでアレンジしたりする事が許されない厳粛さが保たれ伝承されてきたのは、それが自分を超えたものを表すからだと思います。」とお話いただきました。
その後、池田勇諦先生の「我欲手伝う仏、在さず」を紹介されて「凝固する我をこそ、聞く歩み」が今回の学習会の大事な一点である事を伝えられました。
講義の後は、巖城孝一先生に撮影モデルとなっていただき制作した御文作法のビデオの上映を行い、質疑の時間を設け、現地参加とオンライン参加のそれぞれで座談を行いました。
座談では講義の内容を受けて、日頃の法務での儀式作法が自分勝手な我流になっていないかという事を話し合い、「毎朝御本尊の前でお参りする時、無条件で念仏していない自分という事に気づき続ける生活があるのではないか」といった意見をいただきました。
講義の中で自力を尽くすという事が課題されていましたが、どこまでも行為に見返りや条件を求めようとする自力執心に凝固する私が聞き続けなくてはいけないという事を感じました。その歩みが例え自力の範疇を完全には離れられないとしても、自力を尽くさねばと思える私、先に生きた方々は皆それぞれの縁の中で苦悩し、葛藤される中を歩まれてきたのだと思いました。