真宗基礎講座Ⅱ開催
研修名称:『真宗基礎講座Ⅱ』
開催期日:2019年1月26日(土)午後1時~午後4時まで
講 師:小泉 元瑞(瑞雲寺住職)
会 場:札幌別院
参加人数:門徒53名、スタッフ17名
合計70名
参加寺院数:15ヶ寺
テ ー マ:「お念仏の生活〜月忌・法事の意義〜」
前回に引き続き瑞雲寺の住職小泉元瑞氏を講師にお招きして、今回は「お念仏の生活」というテーマのもと講義をいただきました。
私達が幸せを求める時に行の問題があり、念仏に利益や見返りを求めていくようなあり方ではなく、お念仏を如来の行、大行として信受するということ、そのうえで私達の邪険驕慢の心が、阿弥陀の本願の教えをうなずけないという問題をお話いただきました。家の仏間で御内仏のお給仕をして、一日の礼拝の生活をはじめる。この新しい生活を始めるという事について、小泉氏は旦那さんを亡くされた門徒さんが、一人暮らしをしていく心細さに涙を流していた姿を目の当たりにして、その方の事を何もわかっていなかったと、気付かされる出来事があったとお話いただきました。亡き人を通して仏心というまとこの心に触れるとき、今日までのあれが欲しい、これも欲しいという自分の姿が、今度はいまここにある事、主人の命日に線香が炊けることにありがたさを感じるようになったとお話いただきました。
宗祖における寛喜の内省や善鸞義絶といった生涯における体験が無ければ、正像末和讃はなかったかもしれないとお話いただきました。
御内仏のお給仕の生活として、真城義麿先生の聖空間の回復という仏間、御本尊のある空間の役割とは、現代日常から抜け落ちた尊いという感覚を回復する事にあるとお話いただきました。
私達は帰るべき世界があきらかになっているだろうか。帰るべき世界があきらかになっている人は、今を十全に生きたひとであると、それに気づいていないだけでだれしもが宗教的存在であるとお話いただきました。
凡夫の物差しは損か得かで、仏様の物差しは嘘か真かということ。150年前に北海道に移住した私達の祖先は鍋釜より先に大きな御本尊の掛け軸と御内仏を背負って北海道に来ている。損か得かなら鍋釜だけを持ってきたはずだと。
最後に尊いという意味では誰にも代わってもらえない人生ですから大切に生きましょうとお話いただきました。
反省点として現在座談の結果報告に時間を費やし、スケジュール進行が遅れる一因となっており、座談の報告の方法に検討が必要かもしれません。
自分の感想としては、小泉氏の人間を出来る出来ないだけで見ていく事は人間の冒涜だと思いますという言葉を聞いて、私自身いかにその事に迷っているか考えさせられました。
報 告 者:境川隆彰